島根県の海士町。
中ノ島を中心とし、松島、ヒーゴ島、小森島によって形成されているところ。
隠岐郡に属しており、近くには西ノ島などからなる西ノ島町、知夫里島などからなる知夫村、隠岐の島などからなる隠岐の島町があります。
これら中ノ島、西ノ島、知夫里島を総称して、島前諸島とも呼ばれたりしますね。
青々とした海に囲まれた海士(あま)町、いったいどんなところなのでしょうか。
まず、景観的な話。
この辺り一帯は、世界ジオパークである隠岐ジオパークを形成する一部分となっています。
海士町を含む島前諸島一帯は、かつての大規模な火山活動により形成されたところ。
そのため中ノ島、西ノ島、知夫里島の中心にある海域はとても深く凹んでおり、島前カルデラとも呼ばれています。
これは熊本県の阿蘇山に見られる地形ですね。
つまり島々はかつての火山の外輪山というわけなんです。
島前カルデラはその珍しさから、日本の地質百選にも選ばれているのです。
このかつて起こった火山による地形変動は、海士町にもさまざまな影響をもたらしているのです。
まず、保々見の天川の水。
清水寺付近から絶えず湧き出ている、日本名水百選にも選ばれている水。
奈良時代に行基がここを訪れた際に名付けたとされています。
人々の生活を支える産物となっています。
あとは見ごたえのある地形。
最南端にある木路ヶ崎灯台から見渡すことができる島前カルデラは本当に見ものです。
また、島の北側にある明屋海岸はハート岩が見られる海岸として人気なビーチですね。
ここで見られる赤壁の崖は、溶岩が積み重なってできたスコリアと呼ばれるもので、まさに火山活動の産物と言えるでしょう。
次に文化的な面から紹介。
鎌倉時代に源氏より政権を取り返そうと、承久の乱を起こした後鳥羽上皇。
結局この戦いに敗れ、島流しにされたのもこの海士町で、彼はここで生涯を終えます。
そこで、隠岐神社という彼を祀る神社が、崩御700年を記念してこの地に建立されました。
隠岐神社はこの地でしか見られない隠岐造りと呼ばれる建築様式が用いられています。
屋根は妻入り、平面部は神明造り(熱田神宮など)に似ており、突き出た向拝(ごはい)部分は春日造り(春日大社など)のように屋根と一体化しておらず切り離されているという、地味にそれぞれ異なる建築様式。
今では夜のツアーも開催されるほど、荘厳な雰囲気が人気の場所となっています。
また、もうひとりこの海士町ゆかりの人物が。
それは、あの小説家として有名な小泉八雲。またの名をラフカディオ・ハーン。
モンゴル人のような名前ですが、彼はギリシャで生まれた生粋のギリシャ人。
アメリカなどを転々としながら、最終的に行き着いた日本の島根県で生涯を終えます。
彼はこの海士町にある菱浦地区を気に入り、とても愛したそう。
自著「知られる日本の面影」にも、その様子を記したそうな。
他にも菱浦港発着の海中展望船あまんぼう(日本海では初めて)に乗って、海面から突き出た三郎岩を海中から見たり。
あまマーレという、子供から大人まで楽しめる遊び場があったり。
中ノ島スカイラインから一望する海士町も素晴らしいです。
また、海士町独自の名産品も数多く存在します。
ほろ苦さがクセになる、島じゃ常識さざえカレー。
飼育される約1200頭のうちの1割しか認められない隠岐牛。
島でとれたフクギと呼ばれる植物であるクロモジを使用し造られたふくぎ茶など。
訪れた人の胃袋を大いに満たしてくれることでしょう。
見どころたくさんの海士町。
島ならではの存在を大事にし、独自のブランドを洗練し続けているなあと感じましたね。
島根県にもちゃんと島があって、そこには溢れんばかりの魅力的なところが待っていますよ。
アクセスとしては、フェリーのみとなっています。
島根県の七類港、鳥取県の境港からそれぞれフェリーが出ていますが、海士町の菱浦港に直接向かうフェリーはありません。
ですので、隠岐の島町の西郷港で乗り換え、もしくは知夫村の来居港と西ノ島町の別府港を乗り継いで行くしかありません。
隠岐の島町には隠岐空港(隠岐世界ジオパーク空港)もあるので、そこまで飛行機で向かって、フェリーに乗り換えるアクセス方法もありますので、チェックしてみては。