北海道の江差(えさし)町。
道南の檜山郡に属し、厚沢部町、乙部町、上ノ国町に面しているところ。
北海道の2大”えさし”ですね、もう一つは道北の枝幸町。
ここはかつて江戸時代、ニシン漁で栄華を極めたところで、多くの北前船が往来しました。
その様子を表す「江差の五月は江戸にもない」という言葉もあり、北海道初の日本遺産にも認定されるほどです。
そんな江差町を、今回は取り上げていきます。
先述したように、江戸時代における江差町のニシン漁の交易は非常に盛んだったとのこと。
当時はあまりにもニシンが獲れるため米の代わりとして重宝され、ニシンは魚に非ずということで、ここでは鯡(にしん)と書かれたんだとか。
しかしながら徐々に不漁が続き、大正時代には獲れなくなったとのこと。
かつての栄華がいったいどれほどのものだったのか、見てみたいものです。
江差町には、そのような歴史を学ぶことができるところが多くあります。
まずは、開陽丸青少年センター。
ここでは名前の通り、戊辰戦争時に旧幕府軍の船として活躍し、榎本武揚がオランダから持ち込んできた開陽丸や、それにまつわることを学ぶことが出来ます。
すぐ側には復元された実物大の開陽丸もあり、中に入ることもできるので行くしか無いですね。
そしてもう1つは、江差追分会館および山車会館。
その前に、江差追分(おいわけ)という民謡をご存知でしょうか。
この江差町で生まれた有名な民謡で、多くの人に歌われてきました。
江差三大祭の1つである全国大会も、ここ江差町で毎年行われているのです。
そんな江差追分について学ぶことができるところが、江差追分会館なのです。
映像で江差追分について学べたり、江差道場という追分を指導する場もあるので、ここで練習する人も多いとのこと。
その横にあるのが江差山車会館で、毎年開催される江差三大祭の1つ、姥神大神宮渡御(とぎょ)祭に使用される山車(江差ではヤマと読む)が展示されていますよ。
とても歴史情緒あふれる、そして伝統に包まれた江差町。
平成元年から始まった「歴史を生かすまちづくり事業」に伴い、いにしえ街道というものができました。
江戸から大正にかけて建てられた情緒あふれる住宅や施設を、保存および復元しながら当時の町並みを表しているんですね。
福井県で採れた笏谷石を土台に、ヒノキアスナロ、またの名をヒバを主原料として建てられた問屋である、旧中村家住宅。
旧檜山爾志郡役所として役所と警察の機能を果たし、緑と白のコントラストが見事な、江差町郷土資料館。
かつてこの地に存在した、さまざまな予言や予知をしたといわれる折居姥が祀られる、姥神大神宮。
他にもさまざまな景観が楽しめるいにしえ街道は、必見ですな。
最後に名所を1つ紹介。
それは、かもめ島。
江差町の少し突き出たところで、陸続きになっています。
上空から見るとまるでかもめが翼をひろげているような形をしているのです。
ここには海水浴場やキャンプ場、千畳敷があり、かつてここが寄港地として北前船がたくさん来航したのです。
そんなかもめ島で最も目を引くスポットが、瓶子岩(へいしいわ)。
なんとも言えない絶妙なバランスで海に浮かぶ岩で、これにはある伝説もあります。
先述した折居姥が小さな瓶を海に投げ入れたところ、ニシンの大群が現れ、そして瓶を投げ入れたところから瓶子岩が出てきたんだとか。
江差三大祭の3つ目である、かもめ島祭もここで行われ、瓶子岩にかけてあるしめ縄を毎年掛けかえるんですって。
その迫力を生で見てみたいですね。
とまあこんな感じで今回は江差町を紹介してきました。
地方の端っこに位置していますが、独自の文化や伝統を守り続けながらも、これからも多くの人に訪れてほしいという思いが強く伝わる町だと、個人的に感じましたね。
日本遺産や日本一美しい村、クラウドファンディングによって造られた日本一小さい道の駅があったりなど、内容盛り沢山なところではないでしょうか。
また2年前には、ニシンの群れが産卵のために群れでやってくる群来(くき)と呼ばれる現象が、104年という時を経て再び見られたんだとか。
今後の江差町の発展が期待されるところですね。
アクセスですが、まあ鉄道は通っておりません。
ですので、函館駅や函館空港まで電車や飛行機で行き、そこから函館バスで約2時間ほどかけてアクセスしちゃいましょう。
また札幌までは約300キロあるので、車やバスだと約4時間もかかるとのこと。
できればアクセスは函館エリアからが望ましいですね。
ちなみに江差町からハートランドフェリーに乗ると、奥尻島まで行けてしまうので、こちらも外せないですね。
道内でも過ごしやすい気候の江差町、訪れてみては。
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